脳出血で倒れてから5年半。片麻痺は個性の一部になったようだ。今は、老をいかに生きるかに焦点が移っている。


by satarou22

カテゴリ:2005年以降のリハビリ記( 3 )

 二歳(ふたとせ)を 身体(からだ)可もなく不可もなく 過ぎ越しことを 天帝に謝す
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このブログに何も記入することもなく、2年近く経ってしまった。
逆に言えば、平穏無事な日々が続いたことの裏返しと言える。
障害を抱えていることが当たり前になり、普段意識することもなく、落ち込むこともほとんどなくなった。
多少の体調の良し悪しはあったものの、可もなく不可もなく時が流れてしまった。
素直に神様に感謝する。

脳出血で倒れたのが2002年2月だから、もうかれこれ5年半経過したことになる。
「思えば遠くに来たもんだ」という、しみじみとした心境。
左半身の障害に老齢による体力の衰えが加わり、毎年確実に疲れやすくなっている。
長時間立っているのはもちろん、長時間座っているのにも疲れを感じることが多くなった。
2,3時間、座っていたら、しばらくベッドで身体を休めたくなる。

もう気力の問題だ。
駄目だと思うようになったら、ずるずると沈み込んで行くような気がする。
開き直って生きることにした。
命は粗末にしない。
しかし、何かに夢中になって取り組んでいて、その過程で、この世におさらばということになってもそれで良い。
本望さ。それが運命なのだ。
けちな命惜しみだけはするまいと常々心している。
なんたって一度死んだ身。おまけの命さ
死というものが射程圏内に入っている。
だから、精力を傾ける何かが利潤の追求だったり、私欲の妄執だったりするのは寂しいものだ。
その方向だけは避けようと考えている。
無私の精神で楽しく意味のある時間を過ごすのさ。

リハビリというより体力維持の運動を継続を第一にしてこなしている。
ウォーキングと軽い筋肉トレーニングとストレッチをメニューにしながら組み合わせている。
前よりも歩行が不安定になった。すぐ疲れるようになった。
ウォーキングするだけでは単純でつらいものだ。
ブログの「東京よたよた歩き」、「マニラよたよた歩き」と関連させ、ウォーキングに積極的に意味付けさせて楽しんで歩くつもりでいる。
東京でもマニラでも未知の地に足を踏み入れ、美しいもの、感動するものに出会いたい。

最近、六本木や秋葉原まで歩いた。
時間は長かったが、知らない街、知らない通りを歩くのは楽しいものだ。実感した。

体重をあと3kg程度減らしたい。60kg台に保つことが理想だ。
運動が思うようにできないのだから、食べないことが唯一の解決策のようだ。
食べ物がおいしく、ついつい食べ過ぎてしまう。
食事管理をもう一度見直す必要を感じている。

目的意識・夢が、生きる力を呼びおこす。
ここで、目的意識・夢に繋がる行為をまとめておこう。
  ①フィクションの執筆
  ②インターネットのブログの作成
  ③デジカメ撮影
  ④よたよた歩き

そのために心がけること。
 ・人との出会いを大切にして、人の心に触れる。
 ・美しいもの、感動するものを発見し、それを表現する。
 ・表面だけで満足するのではなく、その裏にあるものも感じ取る。
 ・家族を大切にする。孫と交流する。


女房と喧嘩することもなくなった。
孫娘、和夏が小学生になるまで生きることが目標だったが、最近は少し欲が出てきた。
できたら高校生のセーラー服姿を見たくなった。
 神様、力をお与えください。
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by satarou22 | 2007-11-24 10:52 | 2005年以降のリハビリ記
人生は思い通りには展開しない。
ちょっとした気持ちのすれ違い、言葉の行き違いがもとで果てしない迷路に踏み込むことがある。

原因はあまり口外したくない。
ささいなことから女房と喧嘩した。
二人とも、プライドだけは人一倍高い。一度こじれるとなかなか修復できない。
謝るという選択肢が双方にほとんどないのだ。
これまでも、何度かそういう危機があったのに、学習能力が全くない。
我ながら低脳だと感じてしまう。

決裂の日々が続いた。
ストレスから酒量が増えていた。
睡眠薬代わりに焼酎をぐいぐい飲んでいた。
私を無視し家事を放棄し出奔した女房への腹立ちから一人でフィリピンに渡った。
友人達とマニラの夜の巷を飲み歩いた。少しも楽しくもない。

1週間くらいして、寝る前、尋常ならぬ寒気を感じ震えが止まらなくなる。なんと失禁をしてしまう。寝ているうちにオシッコを漏らしてしまったのだ。
大人になってから始めての経験。ショックだった。
嘘だろう。何かが変だ。
心の不調は身体の不調につながるのか。
それでも飲み回った。現実逃避の酒だ。馬鹿につける薬はない。
翌々日の朝、右手が上がらなくなり、一人で服を着ることができなくなった。
また脳をやられたのか。あわてる。
友人達にラスピニャス・ドクターズ・ホスピタルという病院に連れていってもらった。

その頃は、右足の膝の関節と足首が腫れ、強烈に痛んだ。
左足は片麻痺。
まったく歩けなくなっていた。
異国の病院の個室のベッドにただ一人横たわる。
医師や看護婦との意志の疎通もままならぬ。
一人でトイレに行くこともできない。
友人や女房の妹が交代でついていてくれたが、心細い。
泣きたくなった。
カアチャン、ゴメン。タスケテ!

医者の診断は脳内出血ではなく、gout(痛風)。
脳ではなさそうなので幾分安心した。が、状況は深刻。
右足の痛みは徐々に薄れたが、今度は左足が強烈に痛み始めた。
女房がやっと怒りを抑えてフィリピンに来てくれたときはさすがにほっとした。
長年、連れ添った女房。いざというときは、やっぱりカアチャンだ。

    バッカスの 怒りに触れて 車椅子
    現実逃避の 酒びたりの日々

    病室(へや)虚し 悪態をつく 妻に向け
    命つきれば お前のせいだと

    足膝の 痛いの痛いの 飛んでけと
    心の痛み 抑え念じる
        
    妻が吐く 神は見ていた 天罰ね 
    棘ある言葉に 気弱に笑う


退院し、女房の実家に落ち着いたが、左足の痛みが強烈で依然として歩くことができない。
車椅子を借り、SMというモールなど外に出かけはしたが、自分の病状が不安だ。
フィリピンの医者を信じないわけではないが、病院の設備も検査機器も貧弱。
これは日本でもう一度診てもらおう。

女房も仕事を長く休めないということで、切符が取れ次第と日本に帰ることにした。
車椅子による帰国だ。もの珍しくあったが情けない体験。
飛行機は一番最初に乗り、一番最後に降りた。
総括すれば、とんだ自爆旅だった。

東京では、ほぼ寝たきり状態。
1週間後、厚生年金病院のリハビリ科に11月29日から12月11日にまで入院する。
厚生年金病院は家のすぐ近く。女房は毎日来てくれる。
カアチャン、ヤッパリアイシテクレテイルンダ。
年を越すかと思ったのに、意外と早く退院できた。
片麻痺は元のままだが、痛風の痛みは少しずつ抜けた。
毎日、真剣にリハビリ。女房の温かい眼差しが大きな励み。
クリスマスには杖なし歩行ができるまで回復した。
神の慈悲に感謝。

今回の不名誉な経験を反省し、学習した成果を宣言として形にして記憶しよう。

   脱関白宣言
歳を取ってからの女房とのいさかいは骨身にこたえる。
意識しないところで亭主関白だったのかなあ。
14歳も歳が違うんだものなあ。昔は私が知恵もあり生活の方便も知り、リードするのが自然の流れ。でも、今は違う。女房の人生はまだまだ花が咲く。私の人生枯れススキ。何時終わりが来ても不思議はない。
もう無駄な抵抗しないよ。主導権を渡すよ。
負けるが勝ち主義でいくさ。
プライドを捨てて実益をとるさ。

   酒との絶縁宣言
酒は、きっぱり止める。
酒にはだらしない自分がいた。酒に流され、酒に溺れた。
歳をとると、漠然とした不安、孤独、寂しさに襲われる。酒に逃げた。感覚を麻痺させた。
飲むことで時間を飛ばした。
バッカスの神よ。もう、あなたと縁を切る。
気持ちが沈んでいるとき、あなたと付き合っても何の解決にもならないことを知ったから。
中途半端はしない。酒と名のつくものは一切口にしない。

   食事はヘルシーに宣言
片麻痺ばかりに目が向いていた。
が、痛風になり、他の病気にも注意しなければならないと知る。
痛風の主因は、飲み過ぎと美食らしい。
日々の食事の重要性についても再認識する。
カロリーの高いもの摂取を避ける。
ほとんど動かないのだから、若いときと同じ食事をしていては駄目さ。
少食を旨とする。
少ない食事を味わって感謝して食べる。
空腹は食事をおいしくする秘訣。
美食よりも粗食。
腹八分目医者いらずさ。
貝原益軒の養生訓にも「食事の量は、適度にして大食をしない。胃腸に負担をかけるものを食べない」とある。なるほど。古の知者は良いことを言う。
野菜を基本にしながら、魚、肉もバランスよく摂る。
一病息災といきたいものだな。


   清貧を愉しむ宣言
貧すれば鈍す。そんなことないさ。
心の持ち方一つで、人は幸せにも不幸せにもなる。
そんなことわかりきっているのに、皆、お金がないと不安になる。
マスコミはそんな強迫観念を植え付け、人々を不幸にする。
青い鳥は追いかけてはいけない。心の中にいるのさ。
見逃してしまいがちな、身近に存在する「小さな幸せ」を大切にしよう。
常識にとらわれ、既成概念に縛られていては見えないものを見る。聞こえないものを聞く。感じられないものを感じる。
それができたら、形にしよう。
フォトと詩文の融合したブログを考えている。
私の力量と健康があればの話だけどさ。ハハハ。
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by satarou22 | 2005-12-21 09:24 | 2005年以降のリハビリ記

2005年6月

片麻痺は、個性の一部になった感がある。

スムーズに歩けないのは当然。
身体がすぐに疲れるのも普通のこと。
集中して物を考えられないのも当たり前。

それで落ち込むことはなくなったが、逆にこの慣れが問題かなと感じている。

疲れると、すぐ横になってしまう。その頻度が増えたかな。もう少し、我慢して、その間隔を伸ばすようにする努力が少しは必要かな。

ソファーから立ち上がるとき、結構大変だ。「よいしょ」と声をかけるくらいじゃすまない。かなりの心構えをして立ち上がる。2,3歩、よろけることもある。

歩いていて転びそうになって時々ヒヤッとする。
転倒は寝たきりへのショートカットと聞いたことがある。要注意だ。

「片麻痺のリハビリ」から「身体の老化をできるだけ食い止める、体力維持のエクササイズ」へと視点が変わってきている。
リハビリテーション。社会生活に復帰できるように精神的身体的訓練と治療行うこと。
脳卒中後遺症患者としてより体力の衰えてきている老人として自分をとらえるときかな。
リハビリって言葉が、もう現状に適していないかな。
運動も老化防止を一番に考え直すときがきているかな。
やることは大きくは変わらないとは思うが。

目の方は相変わらずだ。
光がまぶしくて、つば付き帽は手放せない。
私のトレードマークさ。帽子で精一杯おしゃれをしてやるか。
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by satarou22 | 2005-06-02 06:18 | 2005年以降のリハビリ記